2022.09.03 重要 授業料と奨学金

鎌倉フェローシップ理事 鎌倉国年様のエッセイのご紹介(Reader’s Digest -No. 199-)

 

本法科大学院院生が奨学金のご支援をいただいております、鎌倉フェローシップ理事 鎌倉国年様の最新のエッセイをご紹介いたします。鎌倉様には長年にわたり多大なご支援を賜り心より御礼申し上げます。

 

 技術の発達を真向から否定する逸話がある。孔子があるところで農夫が畑に水を撒くのに、離れた水源から桶を背負っては往復している姿を見て、「水源から水路を作って引き込めば良いではありませんか」と言うと「やれやれ、おまえさんのように、そういう事を言い出す輩がいるから、人間は下手に知恵がついてしまって、本来の自然のままの道徳的生活から離れて世が乱れるのだ」と言い返した。孔子は慨嘆して去った。

 

 中国人の技術に対する基本的な軽視は、多分、このあたりから発しているだろうと思う。技術者や技能者に対する尊敬は、21世紀の今日でもさほど高くはない。最もあこがれる存在は「官」で、優れた技術は好奇的な解釈をされやすい。技術者は基本的に「便利屋」扱いだが、今は変わっているかもしれない。かつて人工衛星が打ち上げられた時に、中国人学生はこういった「あれは何世紀も前に中国人が発明したロケットの原理なのだ」

 

 一方、アメリカは柔軟である。このシリーズを書くためにいろいろ調べていると、しばしばアメリカ人の偉大さに打たれたものだ。近年の偉大な技術の多くはアメリカ発である。たった200年の間にあげた数々の成果の前では脱帽するしかない。

 

 なぜだろう? 

 

と考えた時に、身分制の制約がないことが、最大のポイントだろうと思った。

 

 日本でも画期的な発明が、ないではない。江戸時代のレベルはなかなかのものだったが、惜しいかな、好事家の目にとまるくらいがせいぜいで、事業や産業として発展した例は少ない。日本は比較的自由で、武士と他の階級の間も緩衝地帯が結構あったが、素晴らしい技術は、禁止・規制・法に触れることが多く、将来の芽を摘んでしまわれた。

こうしてみると、封建制度は技術を窒息させるのだと分かる。

 

 21世紀の日本はどうか? というと、官僚支配が行きすぎて江戸時代末期に似ているな、と感じる。その一番の例は、官製事業がたいてい失敗していることである。縦割りの弊害と、出向しても本社ばかり見ている社員だらけでは、腰も据わらず、責任を逃れる予防的言動が横行して、ついにはその事業組織全体が当事者能力をなくす。責任を取りたくなければ決断はしない。追求されたくなければ、前例に従って新しい試みを潰す。

 

 これが官製事業だけなら良いが、根本的な組織感覚は民間にも浸透して、大企業ほど官僚的になる。サラリーマン社長は仲間から裏切り者と思われたくないから、改革は「血の出ない改革」という夢物語を叫ぶだけである。失敗する勇気を持てといっても、酸性土壌に繁茂力の強い作物は育たない。

 

 日本人が失ったものの最大のものは「勇気」 その次にあげられるのは、「品格」と思う。

 

前述の孔子でさえ、こういう。

「与えて取らざるところ、窮して為さざるところ」を見る

 

くれるものなら何でももらおう! 

追い詰められたらどんな手段でも取って実利を追う!

 

これが今の日本人だ。品格が落ちれば技術も落ちる。なぜなら技術は「自分でなんとかしよう!」という意欲から生まれるからである。

 

 

Reader’s Digest  -No. 199-     2022. 9月上  鎌倉国年  

 

▶写真は鎌倉国年様・慶子様のご近影